2010.9.20
毎日はなかなか歩けないが、朝の散歩を続けている。距離は短いが、7つほどのコースを順に選んで歩く。木々の緑を見たり、小鳥たちのさえずりを聞いたり、田の早苗の生育に驚いたりしながらの散歩はとても貴重な時間である。
そのうちの田んぼ廻りのコースでは、たいがい中国から来ている若い女性のグループと出会う。近くの電子部品の工場で働いている人たちで、10人ほどの全員が自転車に乗って、おしゃべりをしながら通り過ぎて行く。中国語だから話の内容はよく分からないが、明るく元気に、笑いながら職場へ向かう。
そして私とすれ違う時には、もちろん日本語で、殆ど全員が「おはようございます!」と笑顔で元気のよいあいさつをしてくれる。聞けば長期の職場研修で、時々メンバーは変わってるそうだが、大方10年を超えてこの光景は変わらない。
ひるがえって日本の様子はどうか。若い人だけでなく、大人達だって、朝からそんな元気のいい人には出会わない。たいがい一人で車に乗って、イヤホーンをあてたり、髭剃りをしたり、携帯電話をしながら走っている。だから他人との接触もないので、あいさつも会話もない。殆どの人が表情乏しく、明るさ、笑顔、元気は見られない。
日本の国力の低下が言われて久しい。国力の低下といえば、殆どの人はすかさず「経済力の低下」と答える。しかし、果たしてそうであろうか。私はそれに加えて、いやその根底とも言うべき「人の力、人と人とがつながる力」の低下を挙げたい。
「人の力」とは自然や人の命を大切にする心や行いであり、「人のつながり」とは相手をおもいやり、譲り合ったり、助け合ったりしながら、チームで物事を成し遂げていくことである。
戦後、経済の復興・成長をめざした際、国民も事業所・企業も行政も、モノの豊かさや利便性のみを人や社会の豊かさとしてしまった。個人主義や競争が優先され、その「人の力」と「人のつながり」は軽視された。
その結果、自然や人や命にふれたり考えたりすることがめっきり減ってしまった。そして、自分以外の人や自然をおもいやることや、他人と譲り合ったり助け合うということも出来にくくなってしまった。
このままの状況が続けば、本当に個人や地域や国が滅びてしまう。学校が悪い、政治や社会が悪いと他人のせいにして、何らかの行動を起こさないともっともっと悪くなる。「個人の自由」をはき違えて、地域や社会のルールを簡単に破ったり、助けや支えのないまま自ら命を落としたり、また衝動的に他人の命を奪うという現象は止まらないであろう。
月に何回かしか出会わない笑顔いっぱいの彼女らから、その具体的な行動のヒントを得ようとするが、なかなか見つからない。