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新・南天通信

2009.5.18

「あらいいねぇー」

 「第12回地域サロン・宅老所・グループホーム全国研究交流フォーラムinしが」というおそろしく長い名前のフォーラムが終わって2ヶ月が経った。「街かどケア滋賀ネット」も主催者の一つでもあったため、特にその前後の半年間はほぼそれに没頭していた。よって「新南天通信」も長期にお休みをしてしまった。

 

2月のそのフォーラムに前後して、共生舎なんてんやグループホームわいわいに各地からのお客さんが相次いだ。寄せられた声の多くは「建物内部は狭いが、とても家庭的でよかった。どうしたらそんな雰囲気がつくれますか?」というものであった。

 

共生舎の9年、わいわいの6年半をもとに、私なりにそのことを考えてみた。やはりなんてんやNPOの理念、またそれを受けての運営方針にこだわり続けたことが一番大きかったと思っている。

 

「障碍があっても認知症になっても いつまでも住み慣れた所で 自分らしく みんなと一緒に 助け合い 支え合って 暮らし続ける」。介護保険流にもう少し固く言えば、「自立の支援 尊厳の確保、在宅の暮らし」ということである。みんなでこの理念に向かって努力を重ねたことが、各場の中味づくりにとって大きかったかなと振り返る。

 

そしてその理念へ近づくためのいくつかの運営方針、「おとしよりや障碍のある人たちの普通の暮らしを普通に支える」、「ケアの対象者としてではなく人として水平に向き合う」、「さりげない支え(専門的なケア)でその人らしさを保障する」、「常に地域で暮らすことを忘れない」、「認知症の理解や適切な対応のための努力を行う」などといったったことを、しつこく嫌がられながらも提起し続けたこともその雰囲気づくりの大きなベースになったと考えている。

 

むろん、お褒めをいただいたからといって有頂天なんかになってはいない。まだまだ不充分なところはいっぱいある。おとしよりは「まあよかろう、失敗を振り返り、これじゃいかんと挑戦してくれてるのだから、おおむね合格」と譲ってくれてるだけである。私も含めて、今後続けての努力が必要であることはいうまでもない。

 

そんな中で嬉しいエピソード。

 

先日私が「わいわい」にお客さんを案内した時のこと。スタッフと一緒にトイレから出てこられたまさ子さんが、顔を上げて「わあ何これ?このお札どうしたん?」と言われた。そのスタッフがニコリと「あらいいねぇー お札私も欲しいわ」と返した。すかさずまさ子さんも「お札だったら私だって欲しいわ!」と応じられた。ホームの中の雰囲気がとてもあたたかく感じられた。

 

まさ子さんはここのところ視力もかなり落ちてこられ、また認知症による認識の間違いも多い。おそらく目の前の机の上に置かれた雑誌か、その横の柱に吊られたカレンダーを見てお札と言われたのだろうが、にこやかに対応してくれたスタッフの姿勢が嬉しかった。

 

取り組みの進んだ所からは「そんなのエピソードにもならんわ、当たり前の対応やろう。」と言われそうだが、私にとっても「わいわい」にとっても嬉しいことであった。

 

思えば「わいわい」スタート当初は私が言う理念も運営方針も殆ど理解されず、認知症のおとしよりに対しても従来型の一方的なケアが蔓延していた。「徘徊があったら困るからね」と2階入口のの鍵は閉められたままであった。食事の準備や片付けも「私つくる人 あなた食べる人」として一方的に進められた。認知症からの混乱で大きな声を出されるおとしよりを「Aさん問題行動、不穏続く。」と言い、記録した。

 

しかし、私は反発を受けながらも、繰り返し理念や運営方針を説明した。認知症についての学習も重ねた。6年半経って、やっとそのことが受入れ始められた。もちろん私の努力だけではなく、外部での研修等も重なっての成果でもある。

 

認知症ケアを通して、人のこと、尊厳のことを教えてもらった藤本先生に、そして地域の中で、その人らしく暮らし続けることを教えてもらった永田久美子さんに、また何よりも私たちの土台を敷いてくださった糸賀・田村・池田ほかの先人たちに「ここまで来ましたよ」と少しは胸を張って報告が出来る。

 

みんなありがとう。

 

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