2006.11.20
Kさんは、91才。昨年、さるグループホームへ入居された。いや、厳密に言えば入居させられた。生まれてこの方暮らし続けた田舎と、目をつぶっても生活ができる我が家を後に、長男夫婦が住むその街に連れてこられた。
もちろん、長年連れ添ってきた奥さんとも。また、多くのご近所さんとも泣く泣く分かれ、グループホームへの入居と相成ったのである。
来たこともない所、見たこともない人・・・当然ホームでの生活には馴染まれなかった。若い時で、目的があって、自らの意思での生活ならいざ知らず、91才にもなって、しかも、まわりの都合で始まった生活は、混乱が続いた。
このことを自分の身に置き換えて考えれば、馴染まなくて、混乱があって当たり前と私は思うのだが、何故か既存の福祉の業界の人たちは、"ちと"違う。 「早く我が家へ帰って、これまでの様な生活をしたい。早く家へ帰らせてくれ!」と訴えるKさんに対し、スタッフは、「なかなか生活が安定しない」、「帰宅願望が消えずケアが大変だ」と上司に報告した。
そして、その対応策として、田舎に残る奥さんと娘さんを呼んだ。本人の言葉から、帰宅願望の原因が家屋敷の管理と財産の確認だと考えたからである。スタッフは、その奥さんと娘さんの立ち会いのもと、用意された写真と書類を見せながらKさんに話しかけた。「Kさん、ほらほら家も大丈夫。Kさんの財産も大丈夫だって」と。 それでも変わらず、夕方から夜になると「家へ帰る」というKさんに対し、今度は「夜間せん妄がいっそう強くなった」と報告した。
この話を聞いたとたん「わしは、屋敷や財産のことだけを言うてんのではないっ!わしは、最後まであそこで暮らしたいんや!あそこで、うちのやつの所で死にたいんや!」、「丸ごと、丸ごとなんじゃー!」というKさんの悲痛な叫びが聞こえた。
援助やケアの単なる対象者として課題の対象を部分的に取りだすのではなく、人は「丸ごと」であることを理解し、その苦しい"おもい"に共感することが専門職としての努めではなかろうか。 少なくとも、Kさんのこれまでの暮らしに対する重く深いおもいを、「帰宅願望」や「夜間せん妄」などといった言葉で簡単にくくって欲しくはない。