2006.10.8
今年3月、やや手狭になった共生舎を改修した。南側にあった小さい庭をつぶして部屋を拡げた。また、いまにも抜けそうであった床も張り替えた。お隣と接する側の壁をはずして二カ所に窓を付けた。
おかげで尻ぶつけ合う状態だったそれぞれの部屋は、広く、明るく、使い勝手のいいものとなった。おとしよりの人たちもずいぶん喜ばれて「立派になって、よかったよかった、きれいになって、明るくなって本当によかった。おめでとう、ありがとう。」と声をかけて下さった。
しかし失ったものもいくつかあった。"普通の暮らしをふつうの支えで!"の理念にぴったりだったフツウの家の雰囲気がやや薄くなった。小さいながらも四季折々におとしよりの人たち目を楽しませてくれたり、話のたねになった木や花々がなくなってしまった。
限られた条件での改修だから、その両方を満たすのはそもそも難しいのは承知ながら、失ったものはやっぱり大変残念である。
ところが、そんな思いでうじうじしている私を尻目に、スタッフは、早速その失ったところを補充し始めた。掃き出し窓の外のブロック塀にプランターを置いたり、かすりの暖簾をかけてくれたりして、前の様に落ち着いて家庭的な、生活感のある雰囲気づくりに努めてくれている。
改修に伴って、もうひとつ嬉しいことがあった。車いす用のスロープがある土間も一部改修したため、天井の蛍光灯もいったん取り外された。その古い蛍光灯の傘の部分にはつばめの巣があった。毎年決まってやってくるつばめが卵を産み、子育てをする大事な場所であったので、その蛍光灯は、そのまま付けてもらった。
改修が終わったのが三月末で、つばめの到来を間近に控えていた。もちろん巣は、落とされ、しかも雰囲気も少し変わった土間の蛍光灯に、はたしてつばめがやってくるのか気が気ではなかった。いつもは、姿を見かけて、すぐに巣の補修にかかるつがいのつばめは、二週間近くも外から様子をうかがって、その後、一気に巣作りを終えてしまった。
いつものように卵を抱き、雛が産まれ、かよわく騒がしい鳴き声が聞こえ始めてきた。出入りのおとしよりの頭上を親鳥がとびかい、やってきた子供たちが耳をすまして雛の鳴き声を聞いている。
いつものように"命"を運んでくれたつばめに、そして改修にあたりさりげない配慮をしていただいた工務店さんに感謝である。